#10 「見通しをもつ」の違和感
今回は「見通しをもつ」についてです。
新学習指導要領解説 算数編では、
「見通しをもつ」と示しているのは,ものごとについて判断したり,推論したりする場合に,見通しをもち筋道を立てて考えることの重要性を述べたものであ る。問題に直面した際,事象を既習事項を基にしながら観察したり試行錯誤したりしながら結果や方法の見通しをもつことになる。
と述べられています。
色を変えてお気づきかもしれませんが、
「問題に直面した際」です。
現在の指導要領解説 算数編では、
目標の実現のために多少の困難が伴うときであり、問題を解決するための新しい方法を作り結果を得ようとするとき
であるとした。
つまり、子供達が自分の手持ちのものでは解決が難しいときです。
また新学習指導要領解説 算数編では、
幾つかの事例から一 般的な法則を帰納したり,既知の似た事柄から新しいことを類推したりする。
と続きます。
つまり、見通しを持つには
・観察
・試行錯誤
・帰納的な考え方
・類推的な考え方
などが用いられるのです。
だから、「見通し」は単なる予想ではなく、見通しのための手立てが必要です。
しかし、
いわゆる「見通しを持つ」時間の多くは、
教師の質問中心に展開され、
「答えの出し方」を教えること、導かれて、強制されている
時間になっていることが多いように多います。
それではたしていいのでしょうか。