樋口万太郎

樋口万太郎です。教育について自分が思っていることを語っていきます。

#478 「見方・考え方を働かせた」授業の主語は誰なのか②

算数科は他教科よりも間違えた考え方、間違えた答えなど間違えに出会う場面が多い。以前、一年生を担任していたとき、

10のかたまりが9個、1が2つ集まった数はいくつですか

という問題に対して、「11」と答えた子がいた。もちろん答えとしては間違えている。こういった子に対して教師がどのように考えるのかということである。つまり、教師が(子供への)見方・考え方を働かせた授業になっているのかということである。

単に「間違えた」と考えただけでは、授業者としての思考停止状態である。ましては、「どうして間違えるの?」「このあとの授業の展開が・・・」「違う子をあてたらよかった・・・」と考えてしまうのは、最悪な考え方である。そういう考え方にしかならないのは、結局のところ「正しい・間違え」という見方しかできていないからである。

教師がこういった見方をしていて、子供達が見方・考え方を働かせることができるであろうか。

 では、こういった間違えのときにどのような見方をしたらいいのだろうか。それは、

「正しい考え方になるには、何が足りないのか」

「どこで間違えたのか」

「いつからつまずいていたのか」

「何がわからないのか」

「どうしてこの子は間違えてしまったのか」

「どのようにすれば正しく考えられるのか」

といった5W1Hのような見方をして分析をする必要があると考える。

上記の問題だと、「十進位取り記数法」がわかっていない、足りていない、つまずいているということになる。お気づきだろうか、今考えていたことは、この時間に子供に働かせたい教科としての見方・考え方に戻ってくるのである。だから、本文冒頭に述べたように、「教材研究」が必要になってくる。教師がこの時間にどのような見方に着目させ、どのように考えていくのかということを理解していないと、子供の間違えに対して、W1Hのような見方をして分析をすることなど無理である。だから、ネットでささっとネタを調べたり、指導書をささっと読んで行ったりする授業では、見方・考え方を働かせることはできないだろう。