#580 子どもの声で授業をデザインするために「みる」②
(昨日の続き)
今から8年前、ある先輩に
「樋口くんがしているのは、机間巡視や机間指導ではなく、机間散歩だよね。ただみているだけだよね。」
と言われたことがある。今ふりかえってみれば、「観る」「診る」をしていなかったのである。いや、しているつもりだった。さらにその後、
「きちんと指導をしなさい!」
「指導するには、もっと子どもをみなさい。」
「樋口くんは授業で格好をつけすぎている。」
「偉そうな授業になっている。いつから樋口君はそんな偉そうな人間になったのか。」
「人間臭い授業をしなさい。」「誰が主人公?」
「自分が気持ち良くなっているだけだ。」
と言われた。最初はこれらの言葉の意味がわからなかった。しかし今ならわかる。自分の思い通りの授業、レールをひいた授業を行っていたため、子どもたちをうわべだけでしか、「みて」いなかったのである。「見る」もできていなかったのかもしれない。しっかり見ていれば、その場で手立てや授業展開などが変わるはずである。この3つの「みる」に気づいてから、指導言や授業展開が変化したのである。