樋口万太郎

樋口万太郎です。教育について自分が思っていることを語っていきます。

#871 人工的な問い

私はこれまでこのような授業を毎時間取り組もうとしていました。

そのために、教材や授業展開などを工夫して

・自分と他者の考えのズレ

・予想とのズレ

といったズレを生じさせることで、問いがうまれ、子どもはアクティブになるということを提案してきました。

この授業でも、子どもたちは

・答えが1以外の場合もあるのか調べてみたい

・何分の1があれば、全部できるのかな

といった場面でズレが生じ、問いが生まれ、子ども達はアクティブになっていきました。

 「ズレを生じさせる」ことは算数界ではとてもメジャーなことです。

「ズレを生じさせる」ことで、子ども達に同じ問いを持たせようとしています。

 しかし、授業で子どもがもつ問いは、同じ問いなのでしょうか。

「全くわからない〜、どうしよう・・・」

「みんな一生懸命に取り組んでいるけど、私は別に・・・」

といった問いを持つ子どももいるのではないでしょうか。それなのに、全員を同じ問いに・・・と考えたとき、なんだか「ズレを生じさせる」ことでうまれてくる問いが「人工的な問い」のように思えてしまうのです。

 私は問いを「「問い」を、学習の過程で子ども達の中から生じてくる疑問、問題意識、探究心などと捉えています。

そして、この「問い」は、「現在の学び、これまでの学びを次の学びへとつなげ、学習への主体性や意欲を高める原動力になるもの」と考えています。

 ズレを生じさせる授業のときにだけしか、問いが生まれないのはどうなのでしょうか。教科書の問題では、問いがうまれない、つまりアクティブにならないということです。

 本当にそのような子どもは主体的に学ぶ子どもなのでしょうか。