#872 ズレを生じさせる授業への違和感
前ページの内容をBlogに投稿したところ、
・え?そんなことを算数を実践している人が言っていいんですか?
・私はそうは思いません。
・みんなで一つの問いについて考えた方が深まっていくと思います
といった様々な反応がありました。
3つ目は共感するところがあります。1つの共通する問いをあーでもない、こーでもないと考えていくことで、これまでに学習してきたことを活用したり、統合・発展したりすることができます。
こういったズレを生じさせる授業を毎時間していて、基礎・基本的な知識や技能はどうするのかということを疑問におもう方もいることでしょう。考えさせる授業だけでなく教える授業も必要ではないのですかという質問もよくうけます。
知識・技能が身についてから、考えさせるという流れではなく、「考えることで知識・技能が身につく」「身についた知識・技能をもとに感がる」といったようにハイブリッドが大切だと考えています。
ここまで書いてきましたが、「ズレを生じさせる」ことで、子ども達に同じ問いを持たせること授業を否定しているわけではありません。本書で提案している3つのステップのうち、「見方・考え方セット」と「活用問題」では、「ズレを生じさせる」授業を行なっています。
算数は他の教科と違い、答え、絶対解がはっきりとあります。答えにたどりつくまでの方法は多様でも構いませんが、答えが多様ではいけません。
人工的な問いと言っておきながら、なぜ取り組むのか疑問に思われるでしょう。理由は簡単です。子ども達に考えさせたい問いがあるからです。だから、必要なときに取り組みます。
「考えさせる」ということを意図的に教師が毎時間のように仕組んでいると、その結果「考える」子になっていますか。1年生からそのような授業をしていたとき、高学年になったとき意図的に「考えさせる」ことをしなくても、子どもが自ら「考える」はずです。実際はそうではありません。そうはないっていないことに違和感が私にはあるのです。いつまで学びのコントロールを教師が持つのでしょうか。