樋口万太郎

樋口万太郎です。教育について自分が思っていることを語っていきます。

#881 魚を食べさす工夫をしていた?

●魚を食べさす工夫をしていた?   
「おなかが減った。魚を食べたい」と思った子どもがいるとします。そのとき、大人が魚を釣って、その魚を調理して、魚料理を与えるといったようにお膳立てをしてしまうことはありませんか。こういった指導を私自身がしていないかと悩んでいたのです。
この状況を授業に置き換えてみると、教科書教材を使用せずに、練りにねって開発した教材や教育書などで探してきた教材、ネタとよばれる教材ばかりに取り組んでいないかということです。
 目の前の子達に応じて、ねらいを達成するために教材開発をすることは否定をしません。私自身もこれから続けていきます。しかし、常にそれでいいのでしょうか。
常に教師が考えた教材でないと、ねらいを達成しなかったり、考えに気づかなかったり、動きださなかったりするということはいいことなのでしょうか。こういったことを続けていると、子どもは指示待ち人間にならないでしょうか。


●ども自身が魚を釣って食べていく
 この春、学習指導要領が改訂されました。変化を予測することが困難な時代を生き抜く子どもを育成することが求められています。
このコロナにより、早くも変化を予測することが困難な時代がやってきてしまいましたが、このような時代を生き抜くためには,社会の変化に受け身で対処するのではなく,主体的に向き合って関わり合い,その過程を通して自らの可能性を発揮し,よりよい社会と自分自身の人生を幸福なものとして自ら創り出していこうとする力が必要です。
このように考えたとき、これからは自分で魚を釣って食べていくというような子供を育成することが求められているのではないでしょうか。
 教師の役割は、子ども自身が魚を釣って食べていくために私たちがすべきこと・できることは何かということを考えていかないといけません。
 これらは学習指導要領でいわれている「主体的に学習に取り組む態度」の育成につながる話です。


●注意しておくべきこと
子ども自身が魚を釣って食べていこうとしたときに、注意しておかないといけないことがあります。
釣りをするために、釣竿にどのようにリールをつけるのか、どのようにルアーを付けさせるのかを考えらせることはあまり意味がありません。これは、教えることを考えさせてしまっていることにつながります。教えることは教える。考えさせることは考えさせるということが大切です。
魚を釣るために、子どもが求めていないのに、魚の釣り方を事細かく教えることは、避けたいものです。これは、教師の出過ぎた指導につながります。
 子ども達が魚を釣ろうと様々な釣り方をためそうとしたときに、「その釣り方ではだめですよ」と否定してしまったり、方法を限定してしまったりすることも注意すべきことです。