樋口万太郎

樋口万太郎です。教育について自分が思っていることを語っていきます。

#915 教師観をアップデートせよ

 

 

  • コロナによって

本書で提案している「算数授業3つのゾーン」はタブレットに例えるとアプリです。OSは教師自身の「観」です。この「観」が古いままだと、アプリは正常には動きません。

 20代の頃、研究授業の指導案を書くことが苦手でした。特に、教材観・児童観・指導観といった「観」を書くことが苦手でした。そんな様子をみた先輩が、「そこが書けないのは、自分の観が凝り固まっているからだ」ということをアドバイスしてもらいました。

観が凝り固まっているといえる事例がコロナによってありました。コロナによって日本中でマスクが不足になったときでも、「白色のマスクでないと認めない」という学校があったそうです。マスクが買えないという状況でこのような通達をすることは理解できません。

またコロナにより、日本全国夏休みが短縮されました。夏休みの宿題を「昨年○枚プリントを出していたので、今年も○枚プリントを出そう」と検討している学校もあったようです。コロナにより子供たちは疲弊している、夏休みが短縮されている現状でこれまで通りということは理解できません。

 ここでこれまでは白だったけど、何色でもいいやと思ったり、今年はこういう状況だから宿題を減らそう・なしにしようと思えたのなら。それはアップデートしていることになります。

 

  • 私もまだまだ凝り固まっている

 3つのゾーンの算数授業では、単元の学習がわかる表を最初に子どもたちに提示をします。以前の私は、「次にどんな学習をするのかが子ども達に知られてしまう」という理由で、子どもたちに「単元がわかる表」や「週予定表」を配布するのを渋っていました。

先行学習の子が〜、学力の高い子が〜と言っておきながら、「子どもたちに先に何をするのかネタバレをしてしまっては授業が・・・」という思いがあったからです。おかしな話です。今思えば、ネタバレして困るのであれば、それ程度の授業なのです。

 本校に赴任したとき学習指導案の指導上の留意点で「(子どもに)〜させる」という表記をしないということに、最初は違和感がありました。だから、「〜する」という表記にはしたものの、根本的なことが解決していない自分がいました。今思えば、授業の主語が「教師」になっているからでした。

 

 

  • 学力が高い・低いの軸ではなく

学力が高い・低いということを本書に書きました。層というのは、教室に限らず、社会でもあるのが現実です。ただこういった層を私は学力ではなく、「現状に満足することなく、失敗を恐れずに自分で取り組めるか・取り組めないか」という軸でみています。

これは教師観のアップデートにもあてはまります。教育書を読む、研究授業を参観する・行う、人との出会いなどアップデートの仕方は様々ありますが、結局は「自分」なのです

自分の教師観をアップデートしない限りは、何も始まらないのかもしれません。ただ、ボタン1つでできるスマホのアップデートと違い、教育観のアップデートは難しいものです。私の教育観のアップデートが終了するときは、きっと私が退職をする日なのでしょう。