樋口万太郎

樋口万太郎です。教育について自分が思っていることを語っていきます。

#906 タブレットを文房具として考える

2 文房具として考えると・・・

 

子どもにタブレット端末を持たせると説明書をみることなく、どんどん使いこなすほどの簡単さがあります。簡単だからこそLINEの既読スルー、ネットの掲示板への悪質な書きこみをするなどの、他者のことを意識せずにおもちゃのように使うことで相手を傷つけてしまう問題が起こってしまいます。タブレットの悪用により、危険ではないかと思われる先生、保護者もいることは事実です。

 しかし、紙を切るのにはとても効果的なはさみも、はさみを振り回してしまうと周りの子が怪我をしてしまう恐れがあります。はさみといった「文房具」も誤った使い方をすると相手を傷つけてしまいます。結局は、使用者の使い方次第なのです。

 タブレットを使用していくときに、情報を正しく活用していく態度の「メディアモラル」、情報を得る力・情報を正しく活用する力の「メディアリテラシー」ということが必ず話題になります。

 最近では、学校でメディアモラルやメディアリテラシーのワークショップを行うところもあります。道徳の教科書にもメディアの使い方について掲載されています。

 こういった経験はメディアモラルやメディアリテラシーを育てていく上で必要不可欠なことです。ただし、メディアモラルやメディアリテラシーの話を聞いたり、ワークショップを体験したりしたからといって、それらが本当に身につくわけではありません。タブレットを授業で使いながら、メディアモラルやメディアリテラシーは育てていくしかありません。

トラブルは起きます。ただ大きなトラブルになる前の小さなトラブルのときに確実に対処していくということや対策を考えておくことが大切です。

#904 見方・考え方を働かせた授業はポケモン?

子どもが授業で見方・考え方を働かせる姿とは、どのような姿なのかRPGで考えてみました。RPGといっても様々あります。私はRPGが大好きで、様々なRPGをしてきました。RPGにはそれぞれ特徴があります。

子どもが授業で見方・考え方を働かせる姿をイメージして、思い浮かべたのが、ドラゴンクエストファイナルファンタジーではなく、「ポケットモンスタ―」です。

ドラゴンクエストファイナルファンタジーと違い、「ポケットモンスタ―」

は最初プレイヤーが出てきて、その後モンスターと入れ替わります。この入れ替わるところがポイントです。このポイントについては、それぞれのコマンドの説明のところで明らかにしていきます。

前ページの画面、奥側に見えるのが敵です。授業に置き換えると、問題や課題などにあたります。手前にいるのが、ゲームの主人公です。授業に置き換えると、問題に取り組む自分の分身です。

ゲームでは「たたかう」「アイテム」「モンスター」「逃げる」といったコマンドを操作して、敵を倒そうします。授業でも、「たたかう」「アイテム」「モンスター」「逃げる」といったコマンドを操作して、問題や課題を解決しようとします。

コマンドを選び、話を進めていくのは「AI」ではありません。そのようなゲームは楽しくありません。コマンドを選び、話を進めていくのは、自分自身です。そして、コマンドを選び、話を進めていくためにはゲームの「コントラー」を持っていないといけません。

 授業でも同様です。コマンドを選び、話を進めていくのは「教師」ではありません。そのような授業は楽しくありません。主体的・対話的で深い学びを実現することはできません。

 そして、学習の「コントラー」を持っていないといけません。このコントローラーは、教師がコントローラーを持つわけではありません。子ども達自身がもっているものです。

 

#903 面白い問題、よく練られた問題

面白い問題、

よく練られた問題を

提示して、はい!どうぞ!というのが苦手なんだ。

それよりも問いが連続していく方が好きなんだ。

だから、ぼくはあのような授業が苦手なんだ。

何も楽しみがない。

#902 オンライン授業が普及すると

オンライン授業が普及すると、

夏休みの概念が変わる可能性がある

オンライン授業中もデータのやり取りができたり、

オンライン自習室ができたりするかもしれない

夏休みって、

暑さ回避のためにあるという話を聞いたことがある。

クーラーがしっかり完備されたら、、、。

 

まぁ、

夏休み一週間くらいでいいんじゃない?

という論争になるのは、

研究会にいけなかったり、

家庭の事情などで避けたいものである。

 

#902 問いは連続するもの

 

 

 

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「問いは連続するもの」とよくいわれます。単元を通して、問いが連続していくことで、学びを深めていくことができるからです。

このとき、

①【人工的な問い】→「天然の問い」→【人工的な問い】・・・・

②「天然の問い」→【人工的な問い】→「天然の問い」・・・

①、②のようにどのように連続していくかは、人によって違うと考えています。【人工的な問い】→「天然の問い」→「天然の問い」ということもありえます。【人工的な問い】の「天然の問い」のどちらがスタートかも人によって変わることでしょう。

問いの連続は、1時間単位でも起きているし、単元を通しても起きていることです。

 ○○ページの問題だと、授業の途中で「カードの枚数を増やすとどうなるのか」と思ったとします。この問いは、子どもたちからの問い、「天然の問い」になります。つまり、1時間の中で【人工的な問い】→「天然の問い」というように連続していくことがあります。

 

 

  • 「天然の問い」と【人工的な問い】

 このように考えていくと、「天然の問い」とは

・わからない・できないに関する問い

だけでなく、

・数値を変えたらどうなるだろうか

・この考え方を他でも使えないかな

・前に似たような考えがあったような

・どうして〜

といったような学びを深める「天然の問い」が、【人工的な問い】によって、生み出される可能性があるのです。