樋口万太郎

樋口万太郎です。教育について自分が思っていることを語っていきます。

#38 「記号」として捉えるのか・「象徴」として捉えるのか

子供達の発言を

「記号」として捉えるのか

「象徴」として捉えるのか

大きな違いがあります。

「記号?」「象徴?」と思われたかもしれません。

先日の授業で出てきたキーワードです。

 

例えば、

23+32という問題があったとき、

西野さんが「262」と間違えたとします。

そのときに、

「西野さん、間違えた・・・」

「西野さん、どこでつまづいたのかな?どうしたのかな?」

と思うのでは大きな違いがあります。

前者の場合、

授業を進めたいためにそう思ってしまうことがあるかもしれません。

一方で

後者の場合は、西野さんの背景を探っていることになります。

 

宿題を忘れた白石さんに

T「どうして宿題を忘れたの?」

C「家に忘れました・・・。」

T「本当に?」

C「家に忘れました・・・。」

T「昨日もだよ?」

C「家に忘れました・・・」

 

この3回言った「家に忘れました」をただ同じことを言っているなと思うのか、

それぞれの「家に忘れました」の背景について探るのか

大きな違いですよね。

 

象徴として捉えていきたいものです。