樋口万太郎

樋口万太郎です。教育について自分が思っていることを語っていきます。

#388 戦略的指導法0章4「そもそも戦略って、なに?①」

授業においても、学級経営においても戦略は必要不可欠ということは、わかってもらえたのではないでしょうか。

では、そもそも戦略とはなんでしょうか。調べてみると、

 

「特定の目標」を達成するために、「長期的視野」と複合思考で力や資源を総合的に運用する技術科学であるウィキペディアより・「」は筆者)

 

だそうです。では、授業や学級の場面に置き換えて読み解いていきます。 

 

 まず「特定の目標」というのは、

1年後の学級や授業における子供たち一人ひとり、または学級全体の姿

に置き換えることができます。

目指している学級像や授業像を達成しようとどの先生も頑張っています。

でも、達成することが難しいです。

なぜ達成することが難しいのか。

その理由の1つ目が、

 1年後の学級や子供の姿をより具体的に想像できていない

 または

 理想と現実との差があるからです。

 みなさんは、子供たちと出会った後に、1年後の具体的な子供の姿や目標を想像していますか。

子供に出会う前に「こんな学級にしたいな」とか「こんな授業をしたいな」とか「こんな姿になるように授業でこんなことをしていきたいな」とかを考える方が多いのではないでしょうか。考えることは素晴らしいことです。

 ただ、目の前の子供の状況によってはできないことがあるかもしれません。

逆に、もうできている場合があるかもしれません。(そんな場合はなかなかありませんが…)

 だから、子供と出会う前に1年後の具体的な子供の姿や目標を考えた方は、

子供たちと出会ってから目標をアップデートしてください。

そうしないと

教師からの思いが強すぎて、子供たちの思いからかけ離れてしまう恐れ

があります。

 かけ離れてしまうと子供と信頼関係を築くことなんか無理です。

(続く)

 

#387 戦略的指導法0章3「え!? 勝手に動き始め、ざわめきを起こすことを目指すの!?②」

(昨日の続きです)

 現在、授業改善のポイントとして

「主体的・対話的で深い学び」というキーワードが教育界の流行語のようになっています。

この「主体的・対話的で深い学び」というキーワードにも、

実は鯛が泳いでいるのです。

みなさん、わかりますか。

 ひらがなに直してみると、

「しゅたいてき・たいわてきで ふかいまなび」

        ↓

「しゅ たい てき・ たい わてきでふかいまなび」

        ↓

「しゅ鯛てき・鯛わてきで ふかいまなび」

となるのです。かなり強引かもしれませんが…。

深い学びを促すにも、やはり鯛を泳がせないといけなません。

そして、主体的・対話的にも、子供たちの「○○たい」という姿が欠かせません。

そのために、子供たちが「考えてみたい」「やってみたい」という必要感を持つためには、

どのような教材をすればいいのか、どのような授業展開にすればいいのか、

どのような目標を目指すのか、どのような目的を持たせたらいいのか、

どのような手段を使うのか

ということを教師が目の前の子達の実態に応じて考えないといけないのです。

その結果、

指導書通りの展開だったらそれでもいいのです、

何も考えずに指導書通りしようとすることがダメなのです。

#386 戦略的指導法0章3「え!? 勝手に動き始め、ざわめきを起こすことを目指すの!?①」

「授業づくりで大切にされていることはなんですか?」

 

 講師先で毎回のように質問されることです。私が授業づくりのときにいつも意識していることは、正木 孝昌先生(元國學院栃木短期大学教授)が言われている

 

たい(鯛)をたくさん泳がせなさい

 

というフレーズです。

授業で「考えてみたい」「調べてみたい」「やってみたい」「計算してみたい」「友だちと話し合いたい」などのような「○○たい」という姿です。

 この「○○たい」といった子供たちの姿は子供たちの能動的・主体的な姿です。

 「○○たい」という姿になったときには、教師が特に指示をしなくても

 子供たちが勝手に動き始めます

 勝手に動き始め、本時の問題を解決しようとします。そういったとき、

 ざわめきが起きます

 そのため教室が騒がしくなります。

しかし、残念なことにそのざわめきを嫌に思い、すぐに静かにさせようとする先生が多くいます。

ざわめきにより騒がしくなると、

学習規律が乱れている、

学級崩壊になってしまうと思ってしまうのかもしれません。

でも、よく考えて見てください。

確かに学習と関係のないことを話していてざわついていてはダメです。

そういう場合は叱っていいです。

でも、問題に対して自分たちで自然と話し合っているのです。

それはとても素晴らしいざわめきです。

(私はこういったざわめきを「教育的ざわめき」「教育的おしゃべり」と言っています。)

こういった

教育的ざわめき、教育的おしゃべりは認めて欲しいのです。

もちろん学習と関係のないざわめきと見極めることが大切です。教育的ざわめきのときには、

「先生が言わなくても、自分たちで話し合ったり、考えたりしていたよね。とても素晴らしい姿です。」

褒めることを忘れずにしましょう。

特に、4月はどんどん褒めておきたいです。

4月で決まるといっても過言ではありません。

  「○○たい」という姿を引き出すために、促すためにも「戦略」は必要不可欠です。つまり、

 目標や目的を達成するために、「戦略」を使って子供たちの中にあるもの・こと

 を引き出したり、促したりするのです。

 ただその「戦略」を使うだけでは、うまくはいきません。

目標や目的が必ず必要なのです。

目標もなく、ただ単に「戦略」を使用するのでは、

「戦略」の力を100%引き出すことはできません。

これが「戦略的指導法」の大切な考え方のベースにあたります。

 

 

#385 戦略的指導法0章2「戦略がなくてもどうにかなる!?②」

では、どうして樋口学級は学級崩壊をしなかったのでしょうか。それは、

 「若さ」と「勢い」だけでどうにかなっていたのです。

 「若さ」と「勢い」は自分の実力不足を見えにくくしてしまいます

 休み時間には一緒に遊び、「先生」というより、

「若いお兄さん」という存在。子供の世界の「お山の大将」として君臨していました。「オレについてこい!」と熱苦しいくらいの熱血で、みんなをグイグイ引っ張って行きました。ただ、あるとき気がついたのです。

「若さ」と「勢い」がなくなるとどうなるのかと。どうなるかわかりますか。

 「若さ」と「勢い」があるうちに、「戦略」を身につけておかないと、

待ち受けるのは「学級崩壊」です。

 勤務校では教育実習生を受け入れるのですが、

4年生を担任しているときに8人の学生

を樋口学級に受け入れていました。そのうちの一人が、最終日私へのメッセージとして、次のようなことを書いていました。

 

最初は、なんて適当な先生かと正直思いましたが、子供たちへの休み時間の声かけであったり、授業での指導であったり、板書の書き方であったり、全て意図的、計画的だったことに途中から気がつき、驚きました。

 

「なんて適当な」と思われる私も私ですが。戦略的だったことに気づいた学生からは、

 

「どうしてそのような指導をされたのですか?」

「どうしてそのような教材を使われたのですか?」

と毎日放課後にその意図や目的についてのどうして質問の嵐でした。

 質問に答えた時には、実習生の「あ〜、なるほど!」といった共感や「やっぱり!」といった反応から戦略というのは、

あたりまえのようで知らないこと、

学生はもちろん戦略不足であることに、

そして現在は数多くの戦略を用いて指導していることに気づかされたのです。

学生から私自身が改めて学んだことです。

 

#384 戦略的指導法0章2「戦略がなくてもどうにかなる!?①」

 最近、校内研究会の講師として呼ばれ、算数授業を見て助言をする機会が増えました。

 昨年度は1年間で30回近くもありました。

そのときに、

「子供が我慢しているな〜」

「先生がすごくしゃべっているな〜」

「上から目線の指導だな〜」

「レールにのせた授業だな」

「戦略が足りてないな~」

「すべてが強引だな〜」と思うことが多くあります。

 これは若手の先生だけではありません。

ベテランの先生の授業にも思うことです。

 こんな風に語っていますが、以前の私もそうでした。

1〜3年目の頃は、研究会やセミナーや教育書から仕入れたネタを使い、目指していた学級像や授業像はあるものの、あまり戦略も考えずに日々過ごしていました。

 そんな状況でも自分の学級や授業はうまくいっていると思っていました。

実際に子供にも慕われていました。絶対に学級崩壊することはありませんでした。基本的には、前年度荒れた学級を立ち直らせてきました。

 そんな経験を積むと、どうなるかわかりますか。

鼻も伸びまくりで、自信満々のイケイケになるのです。

そして、傲慢になるのです。

今思い返してみると、「どうしてこの問題ができないの?」とその子にイライラしたり、その子のせいにしたり、親のせいにしたり、「前の学年の先生がきっちりしてくれていないから」と前年の担任のせいにしていました。

「自分の指導法が学校内で1番だ」とも思っていました。なんの根拠もなく…。

今、思えば本当に最低の若手時代です。

(続く)

#383 戦略的指導法0章1「目指している学級像や授業像を達成するために必要不可欠なもの②」

(#382の続き)

信頼は教師と子供の間にだけでなく、

子供と子供、教師と保護者、子供と保護者、教師と同僚などの間にも

信頼を築いていかないといけません。

信頼を築いているからこそ、○○像は達成できるのです。

 ケンカが多い、先生によく叱られるから、ダメな学級ではありません。

 手をあげて発言する子が少ないから、ダメな授業ではありません。

 信頼関係が築けていない学級や授業がダメなのです。

信頼関係があれば、ケンカが多かろうが、授業中うるさかろうが子供たちには満足感があります。

 私自身が小学校5年生のとき、クラスは学級崩壊していました。

その原因は、担任の先生と信頼関係を築くことができなかったからです。

担任の先生は講師経験のある初任の先生でした。

私はやんちゃな子でしたので、これまでよく叱られていました。

自分が悪いから叱られても仕方がないと思っていました。

が、5年生のときの担任の先生は、

「○○小学校(前任校)の西野くんはどうしてできていたのに、樋口くんはどうしてできないの!?」と言う叱り方をしていたのでした。

これは私に限らず、みんなにそうでした。

「○○小学校の西野くん」を知らない私たちは、

「誰やねん!」と言うツッコミとともに。

不満を抱くようになったのです。その不満が溜まりに溜まって…。

 その次の年、6年生では男の先生になりました。

叱られるたびに、ゲンコツで頭をよく叩かれていました。

今の時代にこんなことをしたら大変ですが、その当時「なんで叩くねん!」と反発することはありませんでした。

なぜならそこに信頼関係があったからです。

ダメなものはダメと男女問わず接してくれたのです。

(信頼関係があれば、何をしてもいいと言っている訳ではありません。体罰は絶対にダメです!)

 厄介なのは、信頼が最初からあるわけではありません。

「今日から先生はみんなことを信頼するから、みんなも先生を信頼してください。」

と言うだけで築けるものではありません。

あたりまえです。

言うだけで築けるのであれば、

みんな目指している学級や授業を達成することができます。そして、日本全国で学級崩壊しているクラスなんて一つもないことでしょう。

 私の小学校時代のエピソードからもわかるように、信頼関係を築く、築かれない要因の1つは教師の接し方であったり、取り組み方であったりします。

つまり信頼関係は、教師の方から何もしかけないで、築けるものでもありません

その信頼関係を築くための「何」に当たる部分が、「戦略」なのです。

#382 戦略的指導法0章1「目指している学級像や授業像を達成するために必要不可欠なもの①」

戦略的指導法の0章を

 

最初に、この本の主張を書いておきます。それは、

 

学級経営がうまくいく・授業がよりよくなる・子供がより育つためには、

「信頼」が必要であり、戦略的指導が必要不可欠だ!

 

ということです。

 では、みなさんへの最初の問いかけです。

みなさんは目指している学級像がありますか。

(本書では、みなさんへの問いかけが時々出てきます。是非、自分で考えてみてから読み進めてください。)

 

・明るい学級 ・楽しい学級 ・笑顔あふれる学級

・自分たちで考えて動く学級 ・助け合う学級    など、

 

どれもステキな学級ですよね。

4月に、そういった教師の思いと子供たちの思いをミックスし、

学級目標を作るという学級も多いと思います。

 では、目指している授業像はありますか。

 

・お互いが高め合う授業 ・子供たちが中心となっている授業

・みんながわかる、できる授業 ・全員参加・全員理解の授業

・主体的・対話的で深い学び    など

 

 憧れの先生の授業を目指している方もいるかもしれません。

目の前の子供達の実態から、なかなか目指す授業像には…という方もいるかもしれません。

 いずれにせよ、これら目指している学級像や授業像を達成するために、共通する必要不可欠なものがあります。

みなさん、わかりますか。

 

それは信頼です。いつの時代でも、どんなことに対しても信頼がすべてです

(続く)