#890 「ズレを生じさせることで問いがうまれる」授業
以前、ここに書いたことを書き直しました。
春、発売の新刊の一部です。
- 「ズレを生じさせることで問いがうまれる」授業
前ページの授業では、子どもたちは①や②の場面でズレが生じ
・答えが1以外の場合もあるのか調べてみたい
・何分の1があれば、全部できるのかな
と子どもたちの中に問いが生まれ、子ども達はアクティブになっていきました。
「ズレを生じさせることで問いがうまれる」は算数界ではとてもメジャーな手法です。「ズレを生じさせることで問いがうまれた」子どもたちはとてもアクティブになります。
私は問いを「問い」を、学習の過程で子ども達の中から生じてくる疑問、問題意識、探究心などと捉えています。
そして、この「問い」は、「現在の学び、これまでの学びを次の学びへとつなげ、学習への主体性や意欲を高める原動力になるもの」と考えています。
「ズレを生じさせることで問いがうまれる」授業で生まれる「問い」でも、子ども達が問いを持つことで学習への主体性や意欲を高める原動力になっていることは間違いのない事実です。
- 6つの視点をもとに問いづくり
前書「子どもの問いからはじまる授業!」では、子ども達が問いをつくるために以下のような6つの視点を提案しています。
・疑問、よくわからなかったこと
・驚き、不思議に思ったこと
・ひっかかったこと
・おもしろかったこと、感動したこと
・わかったこと
・調べたい、考えてみたいこと
子どもたちはこの6つの視点を使い、6年国語物語文「帰り道」では、
・最後のページの『ひょっとして』にはどんな思いが込められているのか?
・なぜ律が、「僕、晴れが好きだけど〜」と言った後に、周也はなにも言葉にできなかったのか?
・この雨は2人とも感じ方を物(周也は白い球、律はシャワーの水)に表していたけれど、これはどうしてなのか?
といった様々な問いを作っていました。教師は6つの視点を与えただけです。この授業は「ズレを生じさせることで問いがうまれる」授業ではありません。
- 教師の思惑、意図が入りすぎている
この2つの授業を比較したとき、「ズレを生じさせることで問いがうまれる」授業では、教師の思惑、意図が入りすぎているように感じます。一方で、国語の授業では、子ども達の中から出てきた自然な問いと考えることができます。
国語の授業では、子ども達の問いは拡散します。一方で、「ズレを生じさせることで問いがうまれる」授業では教師の思惑、意図する、想定していた問いに子どもたちを導こうとしているようにも考えることができます。